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zoom RSS 人生の金メダル−奉仕と仕事の両立−《公開編》連載(1)北海道で生まれる

<<   作成日時 : 2009/06/28 04:32   >>

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2009/06/28 エブリデーブログ≪筆者の自伝的プロフィール≫ 一挙公開

日本を代表する名カメラマン「木村大作(きむらだいさく)氏」が、70歳を迎える今年、“監督デビュー”を果たしました。1939年(昭和14)、東京生まれ。

“地図を作るためだけに黙々と与えられた仕事に献身している人たちの話!”新田次郎氏の「剣岳」(つるぎだけ) 点の記」(好評公開中)。
 木村監督の、この「剣岳」へのきっかけの思いは、献身している人たちの話が、ご自分のただ映画を作るためだけに50年を費やしてきた。それがオーバーラップした。と謙遜されています。人物紹介の欄で、1958年(昭和33)に東宝撮影所に入社。黒沢明監督「隠し砦の三悪人」の撮影助手を務め、黒沢組の撮影監督、斎藤孝雄氏らに師事する。1977年(昭和52)に「八甲田山」で第1回日本アカデミー賞優秀技術賞などを受賞。「復活の日」「火宅の人」「鉄道員(ぽっぽや)」など約50本の映画で撮影を手がける。2003年(平成15)に紫綬褒章受章。とあります。
今回の映画に対し、木村監督は「厳しい中にしか美しさはない」というセリフがありますが、僕の実体験です。「美しいというのは心が入っていること」ととらえています。本文企画タイトルの“何ものも恐れず”は、作中の「もくもくと与えられた仕事に献身する人たち」。「CG(コンピューターグラフィックス)、空撮は一切なし」が売り。その背景には数カットを撮るためだけに自分たちの足だけで機材をかつぎ、片道9時間をかけえて現場まで歩いた」スタッフたち。監督は間もなく70歳。この三者に通ずるのが、目的達成のためには【何ものも恐れず】に通ずるのでしょうか。
産経新聞(2009.6.23付から3回)オピニオン・“話の肖像画”から 

筆者は、図らずも木村大作監督より1歳上の70歳。人生の金メダル−奉仕と仕事の両立−を掲げた「グループビジネス モデル」の確立、コーディネーターの役割で挑戦しています。

とても、この木村監督の人生に比較されるべきことではありませんが、中卒で自動車整備士の世界からスタートした人生は、19歳で昼働きながら都立大森高校定時制に入学、22歳で早稲田大学・政治経学部第2部に入学するも2年後体調を崩し修学を断念。しかし、学ぶという思いは達成され、悔いはありません。高度成長、バブルに向け走り続け崩壊し、最後は失われた10年を体感しながら企業の広報企画代行(19年経営含む)活動を33年間続けられたことを最大の喜びとしています。そしていま、70歳にして挑戦モードに入っています。

※千本倖生著「挑戦する経営」がコラムで紹介しています。「挑戦(ベンチャー)とは何か。一獲千金というイメージが常につきまとうこの言葉の意味を著者は「真のベンチャーとは、国家と国民が必要とすることを自らリスクをとって行うこと」と述べています。その締めで、「挑戦」を支援する方向に日本人の意識が変わらない限り日本経済の再生の道はないと厳しく指摘しています。
筆者が最初から掲げているのは「社会に必要とされる人になろう」です。
 一人でも多くのチャレンジャーの輩出を目指し、強力なサポーターの出現を期待しています。


自伝的プロフィールはここから始まります。若生 脩二(わこう しゅうじ)。

70歳。北海道出身。1938年(昭和13)10月6日、旭川市から東に約20q。大雪山連峰旭岳の麓、東川村(現在は町)の村外れ、第五小学校区域に生まれる。
終戦の年、1945年(昭和20)4月、旧制の小学1年生。昭和天皇が祭られている拝殿に頭を下げ校舎に入る、毎朝、廊下で全校生50人足らずの朝礼。当時、校長先生と奥様が先生でした。教室は二つ。室内体育館もない。また、当然のこと電気は引かれていません。まさに典型的な僻地校舎。当時の4月は、まだ雪深く、零下10〜15度位あったでしょう。暖房は朝、上級生が当番で白樺の皮を種火にして薪を燃やし、石炭を燃やして暖炉にする。教室の隅々が温まるまでには数時間。しかし、それが普通の生活。当時、不満を唱える生徒はいなかったと記憶しています。寒さで休校したという記憶もありません。戦時下、教科書はなく、どうしたのか入学当時の記憶はほとんどありません。ただ、翌2年生になってから、教科書とは程遠い、新聞大の印刷物を加工して教科書を作った。筆記具も殆どなし。経済的にもクレヨンや絵の具類は小学校卒業まで、姉からのお下がりを使っていたと思う。学校創設以来、同学年で10人以上の生徒数は初めて。すべて複式教育。何とか卒業式までは総代で終了証書はいただいていた。たぶん身長が一番高かったことや走るのが早かったことなどが考慮され、お情けであったのであろう。


※農地改革(小作人に強制的に廉価で売却、地主が農地を失うこともあった)。1947年(昭和22)4月から、教育制度が六・三・三・四制にかわり、施行された。よくいわれる新制中学の誕生でした。
 


 この「自伝的プロフィール」の公開は、本日から毎日、21世紀への切り替えが終わる2005年(平成17)末までと現在を綴ります。約2週間を見込んでいます。

本稿に関するお問い合わせは非公開メールでお願いします。
nihonbashi3-wako@memoad.jp

第93033号 エブリデーブログ≪筆者の自伝的プロフィール≫ 一挙公開



 





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